大学を卒業してからは特に、女友達の口から「結婚」という言葉を聞く。
「私の地元の友達が結婚したの」
「部活の2個上の先輩が、会社の同僚と結婚したんだって〜」
そして、口を揃えて、「私も結婚できるかな〜」
2021年で齢23を迎える我々は社会人としての航海を始めたばかりであるが、同時に、社会的地位や世間の常識に踊らされる悲しい身の上になってしまった。
「結婚するのが当たり前」という思考は多様性を謳う時流によって薄れつつあるものの、“生涯を添い遂げるパートナーと誓い合うこと”に関しては憧れを抱く人の方が多いだろう。
「この幸福で溢れた世界を一人で生きていくのは、あまりにも寂しい」というフレーズを、何かの小説で読んだ気がする。
結婚について友人たちと話す機会も増え、23歳という生々しい数字に少しばかりの恐怖心を抱いた時、私自身が「結婚」について出した答えは「わからない」だった。
私が自分の性的指向と向き合おうとした時に触れてきた、社会の情勢や、ジェンダー論、制度、周りの人の考え等々を、可能な限り自分の中に取り込んで吟味した結果である。
「結婚したいかどうかがわからない」のではなく、「その状況に置かれてみないとわからない」。
結婚するかもしれないし、しないかもしれない。
そもそも日本ではまだ同性婚が認められていない為、この先私に運命の出会いが訪れて、その相手が女性だったとしたら、パートナーと結婚したいとどんなに願っても現時点では結婚“できない”。
運命の人は男性のパートナーかもしれない。法律上はなんの問題もなく結婚できるかもしれないけど、それは双方が諸々の事象に納得した結果である。
私は自分の苗字が大好きだから、結婚して相手の姓に変わるのが嫌だと思うかもしれない。所謂「婿入り」をして、相手が私の苗字になるということも有り得るが、相手にとってそれが不本意だとしたら、また、日本において現時点で夫婦別姓は認められていない為、結婚したいけど“結婚しない”という選択を迫られる。
婚姻届を出さない、事実婚を選ぶ可能性だってある。
人生なんて行き当たりばったり。選択を迫られたその時に方向を決める。その選択の積み重ねが今に繋がり、未来へと伸びていく。生きるなんてその程度のことだと思うし、何もかも「その時」にならないと分からないものだと思う。
ウェディングドレスか白無垢か。チャペルか神社か。はたまたお寺か。
その選択をする日が、いつか来るのかな〜