茄子と牛

徒然なるままに駄文を捨て書く

きゅうゆう

中学受験をした私は、小学校卒業と同時に地元を離れた。

そんな私には、この歳になっても、「あの子は今何しているんだろうか。元気にしているだろうか。変わらずピアノを弾けているだろうか」とずっと気掛かりな小学校時代の同級生がいた。


たまにgoogleでその子の名前を調べてはコンクールに出ていないかとか見てたけど、海外に拠点を移したのか、ピアノを辞めてしまったのか、私が中学、高校、大学の頃には全然情報が出てこなくて、調べる度に寂しくなった。

 

 

 

 

2025年の元旦、寺での奉仕に向かう道中にまたふと気になってネットで調べたら、その子を見つけることができた。


ピアノを弾く横顔と、これまでに彼が出演してきた演奏会のポスターだった。

 

 

 

猛烈に嬉しくなって、小学校を卒業してから14年も経つのに急に連絡を取ってしまった。

「あけましておめでとう!あなたがピアノを弾き続けていることを知れて嬉しい」って。

そしたら、「連絡くれて嬉しかったよ」「素敵な一年にしてね」って返事が来た。

 

その子が音楽を続けているという事実、その子とのご縁が再び繋がったこと、その子が紡いだ言葉が私に向けられて送信されたこと、その子が紡いだ言葉自体、全部が嬉しくて堪らない。

 

 

 

これから沢山話をしよう。中高時代の話や、音楽の話、文学の話も。

一緒にセッションもしたいし、君がピアノで私がティンパニで、コンチェルトも演奏したいな。

我々が離れていた14年の月日を、少しずつ、段々と、取り戻していきたいなと思う。

 

 

 

素敵な一年の始まりにしてくれて、素敵な夢を与えてくれて、生きててくれて、本当にありがとう。これからも宜しくね!

 

生死

 

年が明けてから、私の周りで死の気配が色濃くなった

 

 

 

音楽に傾倒し始めた幼少期から憧れ、敬愛していた小澤征爾

御歳八十にして尚、シンバルをジャンジャン鳴らしてくださった大塚敬子先生も

母の着付けの先生も、私の大切な人のご友人も

 

皆、天国へと旅立たれた

 

 

 

 

 

 

 

 

今、私が死んだらどうなるのだろうか

誰かの記憶に残るのだろうか

そんなにできた人間じゃないから、私が死んだら、きっと誰も思い出さない

時間とともに風化していく気がする

 

 

それはあまりにも寂しいので、図太くしつこく生き続けることで、生きてる間だけでもいいから私が大好きな人々との関わりを保っていきたいと思う

 

 

 

同期

入社から約1ヶ月。

そこまで多い訳でもないが、話したことの無い同期もいるので、重い腰を上げて私が幹事となって懇親会を開いた。

 

 

同期の9割は出席してくれて、開催して良かったなと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

話したことの無い子と話したくて開いた懇親会、

 

それでもやっぱり話せなかった。

 

 

 

でも、まぁ、みんなが楽しそうにしてくれたし、

殆どの面子が二次会に来てくれたから万事OKってことで

 

 

 

 

 

 

飲みすぎた日はコンビニでお味噌汁を買うんだけど、

セブンイレブンなめこの味噌汁は美味しい。

最高に美味しい。唯一信じられるお味噌汁

 

 

 

 

昼間は晴天で、風も日差しも気持ちいい一日だった。

光の中にいるときは心穏やかで、夏の兆しにわくわくしていた。

 

 

夜、布団に潜ると急に孤独が襲ってくる。

ひとりぼっちだと思った。

 

友人もいるし、両親もいる。でも、今この時を独りで過ごしている。ふと、寂しさで苦しくなる。

 

 

 

 

 

 

気を紛らわせるために携帯を手に取る。

 

 

 

 

LINEの新着通知はない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『BENEDETTA』

 

 

今日、タイトルにある映画を観てきた。

 

評論家がベネデッタのことを「超常した嘘つき」と評していたが、果たしてそうだろうか。

私には、彼女がずっと真実を述べていたようにしか見えない。

 

神からのお告げも、彼女の告白も、そして彼女の情欲のあり方も、全てが紛れもない事実であったように感じる。

 

 

 

私は盲目的な信者なんだろうか。

 

愚者

 

 

 

有楽町駅近くのカフェで、隣に座った女性2人組の声が鼓膜に響く。

ふたりともやや甲高く、ハリのある声音で、中身のない話を捲し立てるように語らっている。

 

駅ナカの雑貨屋さん、最近減ったよね〜」

「ね〜!まぁコロナもあって皆出かけないから通販に移行したんじゃない?」

「それはそうかもしれないけどさ。私、鏡が欲しいのになかなか見つからないのよ!今の子は鏡使わないのかなァ」

「あ〜ね、使わないのかもね。今の子はさ、バッグもやたら小さいから!」

「ね!それにさ、……」

 

コロコロと変わる話題と、「今の子」と自分とを比較する語りが止まらない。

 

彼女達の見た目年齢や、会話の内容から間柄を推察するに、別に親しくもない仕事仲間と言った具合で、絶妙な距離感を感じた。

 

 

距離のある相手と話すのは疲れるし、心から楽しめることの方が少ない。

ただ、今目の前にいる相手にはそう思われまいと気を揉んで、必死に会話を続けようとする涙ぐましい努力は、傍から見れば滑稽だった。

私は気の置けない友人とだけ交流していたい。

もしくはそんな気を遣わずに済むような距離感になって、コミュニケーションを楽しめるようにしておきたい。

 

 

そう思いながら、私も、目の前にいる私を慕ってくれる後輩との時間を持て余している。わざわざ千葉の田舎から、片道2時間半もかけて会いに来てくれた。

「次は飲みに行きましょうね!」と笑顔で提案してくれる。穏やかな笑みをたたえながら「そうだね。」と返す。

彼女には“余裕のある先輩”みたいに映るのだろうか。私がどのように見えてるのか、皆目見当もつかない。

 

 

今日は江國香織の『東京タワー』を買ったから、早く家に帰って洋酒でも煽りながら読みたい。