きゅうゆう
中学受験をした私は、小学校卒業と同時に地元を離れた。
そんな私には、この歳になっても、「あの子は今何しているんだろうか。元気にしているだろうか。変わらずピアノを弾けているだろうか」とずっと気掛かりな小学校時代の同級生がいた。
たまにgoogleでその子の名前を調べてはコンクールに出ていないかとか見てたけど、海外に拠点を移したのか、ピアノを辞めてしまったのか、私が中学、高校、大学の頃には全然情報が出てこなくて、調べる度に寂しくなった。
2025年の元旦、寺での奉仕に向かう道中にまたふと気になってネットで調べたら、その子を見つけることができた。
ピアノを弾く横顔と、これまでに彼が出演してきた演奏会のポスターだった。
猛烈に嬉しくなって、小学校を卒業してから14年も経つのに急に連絡を取ってしまった。
「あけましておめでとう!あなたがピアノを弾き続けていることを知れて嬉しい」って。
そしたら、「連絡くれて嬉しかったよ」「素敵な一年にしてね」って返事が来た。
その子が音楽を続けているという事実、その子とのご縁が再び繋がったこと、その子が紡いだ言葉が私に向けられて送信されたこと、その子が紡いだ言葉自体、全部が嬉しくて堪らない。
これから沢山話をしよう。中高時代の話や、音楽の話、文学の話も。
一緒にセッションもしたいし、君がピアノで私がティンパニで、コンチェルトも演奏したいな。
我々が離れていた14年の月日を、少しずつ、段々と、取り戻していきたいなと思う。
素敵な一年の始まりにしてくれて、素敵な夢を与えてくれて、生きててくれて、本当にありがとう。これからも宜しくね!
孤
昼間は晴天で、風も日差しも気持ちいい一日だった。
光の中にいるときは心穏やかで、夏の兆しにわくわくしていた。
夜、布団に潜ると急に孤独が襲ってくる。
ひとりぼっちだと思った。
友人もいるし、両親もいる。でも、今この時を独りで過ごしている。ふと、寂しさで苦しくなる。
気を紛らわせるために携帯を手に取る。
LINEの新着通知はない。
影をなぞる
昨日は友人のカメラの練習相手として被写体になった
緑色が鮮やかで、眩しいくらいだった

撮影中の一コマ
『BENEDETTA』
今日、タイトルにある映画を観てきた。
評論家がベネデッタのことを「超常した嘘つき」と評していたが、果たしてそうだろうか。
私には、彼女がずっと真実を述べていたようにしか見えない。
神からのお告げも、彼女の告白も、そして彼女の情欲のあり方も、全てが紛れもない事実であったように感じる。
私は盲目的な信者なんだろうか。
愚者
有楽町駅近くのカフェで、隣に座った女性2人組の声が鼓膜に響く。
ふたりともやや甲高く、ハリのある声音で、中身のない話を捲し立てるように語らっている。
「駅ナカの雑貨屋さん、最近減ったよね〜」
「ね〜!まぁコロナもあって皆出かけないから通販に移行したんじゃない?」
「それはそうかもしれないけどさ。私、鏡が欲しいのになかなか見つからないのよ!今の子は鏡使わないのかなァ」
「あ〜ね、使わないのかもね。今の子はさ、バッグもやたら小さいから!」
「ね!それにさ、……」
コロコロと変わる話題と、「今の子」と自分とを比較する語りが止まらない。
彼女達の見た目年齢や、会話の内容から間柄を推察するに、別に親しくもない仕事仲間と言った具合で、絶妙な距離感を感じた。
距離のある相手と話すのは疲れるし、心から楽しめることの方が少ない。
ただ、今目の前にいる相手にはそう思われまいと気を揉んで、必死に会話を続けようとする涙ぐましい努力は、傍から見れば滑稽だった。
私は気の置けない友人とだけ交流していたい。
もしくはそんな気を遣わずに済むような距離感になって、コミュニケーションを楽しめるようにしておきたい。
そう思いながら、私も、目の前にいる私を慕ってくれる後輩との時間を持て余している。わざわざ千葉の田舎から、片道2時間半もかけて会いに来てくれた。
「次は飲みに行きましょうね!」と笑顔で提案してくれる。穏やかな笑みをたたえながら「そうだね。」と返す。
彼女には“余裕のある先輩”みたいに映るのだろうか。私がどのように見えてるのか、皆目見当もつかない。
今日は江國香織の『東京タワー』を買ったから、早く家に帰って洋酒でも煽りながら読みたい。