茄子と牛

徒然なるままに駄文を捨て書く

愚者

 

 

 

有楽町駅近くのカフェで、隣に座った女性2人組の声が鼓膜に響く。

ふたりともやや甲高く、ハリのある声音で、中身のない話を捲し立てるように語らっている。

 

駅ナカの雑貨屋さん、最近減ったよね〜」

「ね〜!まぁコロナもあって皆出かけないから通販に移行したんじゃない?」

「それはそうかもしれないけどさ。私、鏡が欲しいのになかなか見つからないのよ!今の子は鏡使わないのかなァ」

「あ〜ね、使わないのかもね。今の子はさ、バッグもやたら小さいから!」

「ね!それにさ、……」

 

コロコロと変わる話題と、「今の子」と自分とを比較する語りが止まらない。

 

彼女達の見た目年齢や、会話の内容から間柄を推察するに、別に親しくもない仕事仲間と言った具合で、絶妙な距離感を感じた。

 

 

距離のある相手と話すのは疲れるし、心から楽しめることの方が少ない。

ただ、今目の前にいる相手にはそう思われまいと気を揉んで、必死に会話を続けようとする涙ぐましい努力は、傍から見れば滑稽だった。

私は気の置けない友人とだけ交流していたい。

もしくはそんな気を遣わずに済むような距離感になって、コミュニケーションを楽しめるようにしておきたい。

 

 

そう思いながら、私も、目の前にいる私を慕ってくれる後輩との時間を持て余している。わざわざ千葉の田舎から、片道2時間半もかけて会いに来てくれた。

「次は飲みに行きましょうね!」と笑顔で提案してくれる。穏やかな笑みをたたえながら「そうだね。」と返す。

彼女には“余裕のある先輩”みたいに映るのだろうか。私がどのように見えてるのか、皆目見当もつかない。

 

 

今日は江國香織の『東京タワー』を買ったから、早く家に帰って洋酒でも煽りながら読みたい。